体罰

体罰のニュースを見てて母が、

「熱血教師で愛がこもっているなら平手打ちぐらいしょうがないわよね」

 

と言ったら父が

 

「熱血日本代表みたいな松岡修造が子供を叩いているのを見たことあるのか?ないだろ?本当の教師は暴力で言うことを聞かせるなんていう楽な手段は選ばないんだよ。」

 

と完全に論破していた。

 

 教育っていつの時代も議論されていくものですが、

 

確かに一理ある言葉だと感じました。

何がって?

 

全くそうは見られないのですが私の家系は割と教育者が多く、

 

父も祖父も何百人と子供たちを正しい道へ導いてきた方達です。

 

でも、

 

教え方に正解不正解はなく、一人一人に柔軟な対応ができるのが真の教育者だと思います。

 

ふと、

 

昔、何かで怒られた時に隣の部屋に閉じ込められて

謝るまで正座をさせられたことを思い出しました。

 

めちゃくちゃ泣いてそれでも私は、頑固で絶対謝ろうとはしませんでした。

 

父は呆れて、

 

部屋のドアを閉め出て行きました。

 

数十分が経ち、父が帰ってくると、私はそこで何をしていたかというと

 

泣き疲れていました。

結局謝った覚えもありません。

 

 

 そしてまたある日、

あれは夜の八時か九時くらいだったでしょうか。

 

また怒られ泣きじゃくる私を父は家の外へ出しました。

数十分後、

 

父がドアを開けると、私はそこにいませんでした。

 

家を出されたことをいいことに私は遊びに出て行ったのです。(多分、裸足で。)

 

父にとって

”最大の敵は身内なり。”

 

そしてまた一つ。

昔父が学校の先生に

 

「本当に教えてもわからない時は

 殴ってでもわからせて下さい。」

 

と三者面談の時に言ったのを覚えています。

 

モンスターペアレントが溢れかえり、過保護が増え子供たちが

弱くなる現在。

 

そうやって

言えることの重大な愛の決意が今更ながら胸に響くのであります。

 

 

教育は十人十色です。

 

 

私は琉球大学の小児科母子供たちに絵を教えた時に

(教える側になって初めて)

実感することができました。

 

ひとりひとり

描けるようになりたい絵が違うのです。

 

評価する基準っていったいなんなのでしょうか。

 

ピカソは、美術の成績で言えば評価は1でしょう。

 

世界の評価は5、もしくはそれ以上です。

 

そんな曖昧な価値観の判断で

教育者たちは何を子供たちに教えることができるのでしょうか。

 

相手に対して注ぐ愛が伝わることを祈ってます。