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” ナニゴト ”も


否定するのも肯定するのも

どちらもできるのだ。


…そう、どちらでも。


学生の頃、心理カウンセラーの

先生が教えてくれた

” 善意の暴力 ”もしかり、


大場つぐみさんの

DEATH NOTE ”もしかり、


善が悪なのか

悪が善なのか


私たちには断言できない。


そうして行き着いた先は

多数派が善となる。


それをありのまま

疑を問わず受け入れるのも

また人の愚かで可愛いい

所であるのだろう。

 

 


神様が与えた脳の10%しか

つかってない我々の

残り90%は一体何処へやら。


その程度の

愚か者であれ、

その全てを使うと

人は神をも越える

ということなのか。


…むかし、UFOをみたことがある。


海の上に

50m、いや、それ以上か。


くらいの機械物が止まっていた。


ソレは、シュッと三回移動し、

目の前でパッ‼︎と消えた。


そのとき

15の私は、UFOが透明化を

私にだけ適応できなくて


私に見られたことに

焦りを覚え、姿を消したのだ、と。


……なんとも可愛らしい

       見解だろうか。


私がお風呂から出た時、

蜘蛛が目の前を通っただけで


きゃーーー!恥ずかしい‼︎

ってタオルで隠して

その場を去るだろうか。


でもその蜘蛛は

お、俺に見られたから

こいつはすぐ部屋に行って

着替えたんだって

ニヤニヤしながら思ってる訳で。


でも、


でもさ、


…そんなコトが真実なら

    すごく面白いよね。


なぁーんて、


 

やはり、ぼくは

そーやって己の核は

善や悪なんかよりも


想に偏りがちなんだろうと解り

今日を生きるのです。


P.S

すき焼きに使っていい卵は

一個までっておばあちゃんが

言っていたけど、1人暮らしは

黙って二個使えるのです‼︎


そう、それが幸せ‼︎


あなたも小さくても小さな幸せ

手に入れようよ!笑

” ナニゴト ”も


否定するのも肯定するのも

どちらもできるのだ。


…そう、どちらでも。


学生の頃、心理カウンセラーの

先生が教えてくれた

” 善意の暴力 ”もしかり、


大場つぐみさんの

DEATH NOTE ”もしかり、


善が悪なのか

悪が善なのか


私たちには断言できない。


そうして行き着いた先は

多数派が善となる。


それをありのまま

疑を問わず受け入れるのも

また人の愚かで可愛いい

所であるのだろう。

 

 


神様が与えた脳の10%しか

つかってない我々の

残り90%は一体何処へやら。


その程度の

愚か者であれ、

その全てを使うと

人は神をも越える

ということなのか。


…むかし、UFOをみたことがある。


海の上に

50m、いや、それ以上か。


くらいの機械物が止まっていた。


ソレは、シュッと三回移動し、

目の前でパッ‼︎と消えた。


そのとき

15の私は、UFOが透明化を

私にだけ適応できなくて


私に見られたことに

焦りを覚え、姿を消したのだ、と。


……なんとも可愛らしい

       見解だろうか。


私がお風呂から出た時、

蜘蛛が目の前を通っただけで


きゃーーー!恥ずかしい‼︎

ってタオルで隠して

その場を去るだろうか。


でもその蜘蛛は

お、俺に見られたから

こいつはすぐ部屋に行って

着替えたんだって

ニヤニヤしながら思ってる訳で。


でも、


でもさ、


…そんなコトが真実なら

    すごく面白いよね。


なぁーんて、


 

やはり、ぼくは

そーやって己の核は

善や悪なんかよりも


想に偏りがちなんだろうと解り

今日を生きるのです。


P.S

すき焼きに使っていい卵は

一個までっておばあちゃんが

言っていたけど、1人暮らしは

黙って二個使えるのです‼︎


そう、それが幸せ‼︎


あなたも小さくても小さな幸せ

手に入れようよ!笑

普通

本日、とある大通りで視覚障害者の方がいて横断歩道を渡れずにいたから手を引いた。

その人、ものすごく頭を下げてお礼を言っていた。

 

そのあと人も多くて

歩きにくいはずの大通りを行ったり来たりしてて、

 

気になってもう一度声をかけたらどうやら目的地に着けないらしく

方向が分からなくなって行ったり来たりしてたらしい。

 

なので、目的地のコンビニまで手を引いてその人が買いたい物を

一緒に探してレジでお金も精算したんだけど

 

その人、

 

 

私に「ありがとう」よりも

「迷惑をかけてごめんなさい」って言ったんだ。

 

この瞬間この人がされてきたことを感じたこと

想像できた。

 

とても悲しくなった。

 

その人は言った。

「私みたいな障害者を気持ち悪いとか迷惑とか普通に人たちはそう思うし、

助けを求めたら怒鳴られたりするのも普通だったから、、、」

 

 

その人の言う

《普通の人たち》はあまりにも

 

《普通》じゃなかった。

 

普通ってそうじゃないと思う。

 

普通がそうであってはならないと思う。

 

目の見えない人の手を引いてやることが

《普通》でなくちゃならない。

 

 

、、、、、本来ならば。

 

ねぇ、みんな普通を普通にしてあげようよ

 

点字ブロックの切れ目は健常者の少しの勇気と優しさ

で繋がるんだ。

 

そして

 

その人は

スクランブル交差点のコンビニで

お別れを言ったのだけど

 

気になって見てたらやっぱり

スクランブル交差点を渡ろうとしていて

 

だけど

 

周りの人はその人を無視して歩いていく

ひどい人はぶつかったり

点字ブロックを、またがって歩いてたりした。

 

その人のプライドとかもあるのだろうけど

危ないしまた戻って一緒にスクランブル交差点を渡った。

 

斜めに歩くスクランブル交差点が

いかに障害者に冷たいかよくわかった。

 

その人は、スクランブル交差点を斜めに渡ってすぐのコンビニに

行くはずが斜めに渡りきれなくてずっと何時間も通りを

行ったり来たりしていたのがわかって

 

 

本当に切なかった。

 

その人がまた謝ったから

 

「迷惑かけてごめんなさいじゃなくてせめてありがとう」

って言ってください。

 

といった。

 

この人が誰にも謝ることなく生きれる世の中になってほしい

と感じた。

 

できれば、

 

杖を持っている手と反対の手を自らの腕につかませて

先導してあげてください。

 

段差が10歩前から

段差を教えてあげてください。

 

彼らは何も見えないのだから、

 

でもきっと

健常者よりも人の冷たさを冷たく感じ

暖かさを熱く感じている。

 

長々とした文章だけど

どうしてもみんなに何か想って欲しかったし

行動するきっかっけになればと。

 

あなたはどう感じますか?

またどうすべきですか?

同じ人間です。

 

 

体罰

体罰のニュースを見てて母が、

「熱血教師で愛がこもっているなら平手打ちぐらいしょうがないわよね」

 

と言ったら父が

 

「熱血日本代表みたいな松岡修造が子供を叩いているのを見たことあるのか?ないだろ?本当の教師は暴力で言うことを聞かせるなんていう楽な手段は選ばないんだよ。」

 

と完全に論破していた。

 

 教育っていつの時代も議論されていくものですが、

 

確かに一理ある言葉だと感じました。

何がって?

 

全くそうは見られないのですが私の家系は割と教育者が多く、

 

父も祖父も何百人と子供たちを正しい道へ導いてきた方達です。

 

でも、

 

教え方に正解不正解はなく、一人一人に柔軟な対応ができるのが真の教育者だと思います。

 

ふと、

 

昔、何かで怒られた時に隣の部屋に閉じ込められて

謝るまで正座をさせられたことを思い出しました。

 

めちゃくちゃ泣いてそれでも私は、頑固で絶対謝ろうとはしませんでした。

 

父は呆れて、

 

部屋のドアを閉め出て行きました。

 

数十分が経ち、父が帰ってくると、私はそこで何をしていたかというと

 

泣き疲れていました。

結局謝った覚えもありません。

 

 

 そしてまたある日、

あれは夜の八時か九時くらいだったでしょうか。

 

また怒られ泣きじゃくる私を父は家の外へ出しました。

数十分後、

 

父がドアを開けると、私はそこにいませんでした。

 

家を出されたことをいいことに私は遊びに出て行ったのです。(多分、裸足で。)

 

父にとって

”最大の敵は身内なり。”

 

そしてまた一つ。

昔父が学校の先生に

 

「本当に教えてもわからない時は

 殴ってでもわからせて下さい。」

 

と三者面談の時に言ったのを覚えています。

 

モンスターペアレントが溢れかえり、過保護が増え子供たちが

弱くなる現在。

 

そうやって

言えることの重大な愛の決意が今更ながら胸に響くのであります。

 

 

教育は十人十色です。

 

 

私は琉球大学の小児科母子供たちに絵を教えた時に

(教える側になって初めて)

実感することができました。

 

ひとりひとり

描けるようになりたい絵が違うのです。

 

評価する基準っていったいなんなのでしょうか。

 

ピカソは、美術の成績で言えば評価は1でしょう。

 

世界の評価は5、もしくはそれ以上です。

 

そんな曖昧な価値観の判断で

教育者たちは何を子供たちに教えることができるのでしょうか。

 

相手に対して注ぐ愛が伝わることを祈ってます。

うまく話を聞く

・相手自身を主題にしない


 話し相手が部下や後輩だとして,どうしても部下のしたこと,部下の発言,部下の失敗,部下の報連相,部下の成果等々となると,「どうして君はそうしたの」と,上位者や先輩として,部下に話を聞く姿勢となる。それでは,どうしても部下側は,聞いてもらう立場であり,言い訳する立場になる。そういう会話のスタイルをしている限り,話をしにくいし,聞きにくい。そこで,部下の「したこと」,「発言」「報連相」「成果」そのものを,ちょうど提出された企画書を前にして,一緒に企画そのものを検討するように,部下と一緒に「したこと」,「発言」「報連相」「成果」をテーマ,上位者と下位者が一緒になって眺めている関係がほしい。二者関係から,そういう三角形の関係にすること。そうすることで,聞く側も,部下という属人性を 離して検討しやすくなる。また聞く側が,相手に巻き込まれて,同情したり,一体化したりするのを妨げるのにも有効。


・まず話をやめる


 他者に対しても(他者対話),自分に対しても(自己対話),話している限り,人の話は耳に入らない。この場合,口に出しているだけとは限らない。心の中で,相手を瀬踏みしたり,相手に反論したり,あるいは自分自身のいいわけのために,ああでもない・こうでもないと自身と反芻したり,も含まれる。


・相手と同じ目線になる


 保育士が幼児の前で屈むのは,相手と同じ姿勢になることだ。相手が立っていて,自分が座って報告を聞くという関係は,すでに相手の話を聞く関係づくりになっていない。相手の体験する視線と同じ位置に,自分の目の位置をおくことで,相手の話を聞こうとする姿勢が相手に伝わる。同じ位置で,相手の主観上の,感情上の世界を味わって見ようとする姿勢である。


・相手の感や気持ちに焦点を当てる


 話には,事柄や出来事とその人の感情がある。相手が話す出来事や事柄は,意味なく出されるのではなく,その場でのその人感情があるから,それを伝えようとするはずである。そのときの,その事柄や人物や出来事にまとわりついている相手の感情,悲しさ,うれしさ,怒り,恐れ等々を感じ取ろうとする。「どう感じました?どう」「どういう気持ちでした?」と,質問してもいい。そういう姿勢が相手に聞かれている,聞いてもらっていると受け止めてもらえる。聞いているかどうかを決めるのは,相手であるのだから 。


・相手のそのとき,その場,その思い,その感情をイメージする


 相手にはなれない。相手の立場にもなれない。相手の気持ちももてない。しかし相手の話を,シチュエーションとしてきちんと思い描き,その場に,目の前にいる相手をはめ込んで,そこにいる相手をはめ込んで,そのとき相手が体験した,そのとき,その場の思い,感情を出来る限り具体的にイメージしようとすることは出来る。そのとき,そこで相手がどう感じ,どんな思いをしたのか,そのフィーリングを一緒になって感じようとすることはできる。それは相手の目線で,相手はそれが相手の話を聞くことだ。そのために,5W1Hで,いつ,どこで,何が,どうしたかを聞いていくことが,助けになるが,一緒に感じながら「それで」「それから」と聞いていけば,尋問とはならない。


・相手と呼吸をあわせる


相手がどんな息遣いをしているのか,その呼吸のペースにあわせようとすることはできる。荒い息遣いなのか,のんびりした息遣いなのか。それが,相手にあわせようとする,こちらの態度となる。あわせられたかどうかも大事だが,あわせようとする姿勢,態度は相手に伝わるはずだ。息遣いをあわせることは,しゃべり方やスピード,テンポをあわせることになる。並んで歩くときのスピードが合い,歩調が合うのと似ている。


・相手の言葉遣いやしゃべり方にあわせる


 相手がぞんざいな口調をするのか,丁寧な口調なのか,早口なのかスローなのか,あるいは方言があるのか,標準語なのか。独特の言葉遣いがあれば,それをなぞって返してもいい。それは両者の間に共有化される,独特の雰囲気を作り出すことになる。


・巨大な耳になる


 自分の全身が巨大な耳になったとイメージしてみる。したがって口はない。相手の言葉がただ耳に流れ込んでくる。それを必死で聞きとり,理解しなくてはならない。したがって,聞きながら,他の作業をするとか,落書きしたりする等々ということはできない。ただひたすら聞く姿勢をとる。


・話の構造をつかむ


 話の細部や中身をつかもうとする前に,全体の構造をつかむ。構造がつかめれば,細部は後でも確かめられる。そうした構造は,「○○と思う」の「○○」が中身,構造は,「思う」に現れる。「○○と思う」と「○○とも思う」では,話の構造が違う。「○○」は話し全体の部分であるということになる。「○○になればいいと思っていた」というとき,いまから見て,「○○になればいい」という思いは,過去のものになっているという話の構造になる。


・相手の考えの視点を変えるヒントを出す


 相手の話を聞きながら,いきなり,「それはおかしい」「そうじゃない」といきなり批判されれば,結局何も聞いてくれていないと思わせるだけだ。その場合,「その立場を変えて考えたら」とか「考え方をちょっと変えて見たら」とか「確かにそうだが,視点を変えて見たら」と前置きして見ることで,傾聴を崩さないで,つながる会話になる。たとえば,「その考え方は一理ある。その枠組みで考える限り,そう考えられる」と,その考え方を返し,しかし「こういう枠組みでみると」と一言付け加えれば,相手は自分の意見を一緒に考えてくれていると受け止められる。


・相手の言葉を繰り返して,一言加える


 相手が「今の状況は,とても楽観できないです」と言ったら,「とても楽観できない状況なんだね。その中でもこれだけ苦労したんだから,少しはうまくいきそうなところもあるんじゃないか? 」と,自分の意見や考えをちらりと付け加える。その場合,一緒に同じものを見ている,考えているという視点でなければ,この人は聞いていないとすぐわかってしまう。自分の言っていることばを繰り返されると,しゃべっている本人には一緒にその場にいてくれると受け止められる。確かに,並んで話しているという雰囲気にはなるが,ただ繰り返されると馬鹿にされた感じがする。そこに,一緒に考えている姿勢を崩さずに,同じ目線で,違う見方を加えてみる。「このやり方では絶対うまくいかないと思う」「絶対うまくいかないと思うわけだね。そうしたら,別にどういうやりかたをしてみたらいい?」


・ひたすら待つ姿勢を示す


 よく部下が黙るとこらえきれずに次々としゃべってしまう上司がいる。黙っているということは,何も考えていないのではなく,頭の中でいろいろなことが駆け回っているはずなのです。人間は言葉の20倍のスピードで頭の中を言葉にならないイメージや重いが疾駆している,といわれています。相手の沈黙をじっと待てること。できれば,なにかはなすのなら,「じっくり考えて,待っているから」と待っていることを相手に伝えてもいい。当然,相手がしゃべり終わるまで,待つ。話の腰を折らない,遮断しないということは当然。


・自分の発言への相手の反応をモニターする


 ペンフィールドとラスマッセンの大脳皮質の運動の局在を示す図に,顔や口,手の指が非常に大きく描かれている。相手の心の動きは,多く,顔面,それも口唇周辺によく出る。相手の口の周りの力の入れ方を真似るだけで,相手の気持ちがわかる,とさえいわれる。また両手の指の動きにも反応が出る。コーチングでは,話し方や声の抑揚,大きさを合わせるペーシングとか,からだの動きや表情を映すミラーリングといった技法を使うが,相手の反応の見方として意味がある。コミュニケーションとは相手にきちんと伝わってはじめて成立する。その意味では,相手の反応をきちんとモニタリングできてではじめてコミュニケーション力があるといえるので,それを見極める力は聞く力そのものといってもいい。


・自分のネガティブな気持ちに気づく


 反発や怒り,嫌悪の感情を,それはおかしい,そういう甘えたことをいっているからだめなんだ,と批判してしまえば,相手は自分を聞いてくれていないとしか受け止めない。またそう頭ごなしにいうとき,自分自身の弱さを相手への批判でカバーしているところもある。そう感じたら,ストレートに返さず,自分の感情を突き放して見る間がほしい。いま,何を感じているのか,何を考えているのか,自分としてはどうしたいのか等々,自分に問いかける間を持つことで,その感情を抑えるにしても,抑えずに出すにしても,たとえば,「今の君の発言を聞いていると,正直言って,あまりいい気持ちではなかった」という冷静な返し方になり,少なくとも会話の土俵は保てる。


・明確化,具体化,焦点(キーワード)化,要約化


 「私は,あなたの今の話をこういう風に理解したが,それでよかったか,その状況を私はこう受け止めたんだが,それでいいか」と確かめていく。あるいは長い話をまとめて,要するにこういうことでいいのか,とまとめて返す。それ自体が聞いていることの証になるだけでなく,話の焦点を絞っていくことになる。


・質問の形で指摘する


 コーチングなどでは,質問を重視するが,その意味は,「これはまずいだろう」と直接指摘されるよりは,「これはまずくないか?」と言われることで,①ソフトになる,②質問された側が自分の中で返答を考えることでさまざまに自分の中に連想を生み出し,揺さぶられること,③結果として自分自身の中で是非の判断,答えを見つけることになること,がある。それは,聞く側にも,相手に的確に聞くために,聞く力が必要になる。


・わからない,知らない ことはそのまま伝える


 すぐれた上司は「わからないという言葉で勝負する」と言われる。「わからない」「それはよく知らない」という言い方をすると,部下(後輩)側は,それについてより説明しなくてはならなくなる。少なくとも,「お前の言うことはちっともわからん」「何を言ってるのかわからん」という言い方だと非難を込めているが,そうではなく,フランクに,「よく知らない」「よくわからない」といわれれば,知っている側が説明しなくてはならない。それは,より聞くきっかけとなる。さらに,「よくわからないが,僕の思いつくのはこんなことだが,それでいいのかな」とか「こう考えてもいいのかな」等々とやりとりをすれば,それ自体が相手にいろいろなことを考えるきっかけとなり,「ああ,こういうことかもしれません」と答えを見つけたりする。これは,三角形の関係になっているのと同じになる。


・問題を能力と置き換えて聞く


 文句ばかり言う,ぐずぐずしている,仕事が遅い,言い訳ばかりしている,上位者は大概部下(後輩)より経験も知識も多い。だからけちならいくらでもつけられる。いくらでも批判的にみる。そのために,相手の話は耳にとどかず,何をくどくど言っているかという顔になる。そこで,相手に見つけた「けち」を,問題としてではなく,能力に置き換えて見る。たとえば,「文句ばかり言う」のは問題意識が旺盛,「仕事が遅い」のは慎重等々。そうすることで,少なくとも,まず相手の話をプラスとして聞こうとすることになる。


・肯定的な言葉だけを使う


 肯定的な言葉を使うように心がける。マイナス表現,非難めいた言い方をしない。たとえば,「いいアイデアが出なくて困っています」と部下が言ったら,通常なら,「君はいつもそうだ」とか「これだけ待ったじゃないか」とか「本当に考えたのか」とか思ったり,言ったりする。しかしそう言ったところで,いい考えがでてくるのでもないし,部下がいまいい考えを思いつくわけでもない。それなら,「それはがんばったな」とか「目いっぱいがんばったんだね」と,できたところを前向きに評価するか,ねぎらって,「では,でたものから,進めてみよう」とした方が,事態は前へ進む。批判は,できなかった過去をとがめているに過ぎない。それで未来は変わらない。どうしたらできるようになるかは,相手の現時点をプラスとして,そこから出発するしかない。


・言外の言葉を聞き取ろうとする


 相手は,すべてを語っているとは限らない。隠したいということもあるが,表現出来ないということもうる。自分でも気づかずにいることもある。言葉が,相手の心の氷山の一角と考えると,言葉尻を捕らえたり,語った事実だけで,評価したり,怒鳴ったりすることの愚に気づく。大事なことは,相手の語ろうとしていることの全体像をつかむことだ。むろん,あら捜しや隠し事を詮索するためではない。


ずらーっと説明を入れましたが

人の話を聞くのに一番大事なのは相手の気持ちになって、聞くこと!

逆の立場だったら、どう言われたら納得いくのか、嬉しいか基本的なことですが、それができるのとできないのは天地の差です!


これを、ベースに

相手の話を聞いてみると

見える世界が変わるかも、

ネットワーク

ネットワークビジネスねずみ講は、構造こそ似ているがまったく異なるものです。


最近の20代前半より前の世代では、両者を混同する人は少ないようですが、


30代以上はまだまだ誤解があるようです。


 


私もネットワークビジネスに取り組んでいたころは、これらの説明を何度もしました。


それくらい誤解をされやすい仕組みと言えます。


ここでは、ネットワークビジネスねずみ講の違いについてお話しします。


 


ネットワークビジネスは法律に定義された合法である


ネットワークビジネスは別名マルチレベルマーケティングMLM)と呼ばれ、


日本では連鎖販売取引マルチ商法と言われています。


 


その名のとおり商品の流通網が連鎖することから、その名がつけられ、


その流通網が蜘蛛の巣のネットに似ていることから、


ネットワークビジネスと呼ばれているのです。

 


マルチ商法特定商取引に関する法律という中に定められた、合法です。


特定商取引に関する法律は、商売の中で特にトラブルが起きやすい商法に対して、


特別な規制ルールを作ったのです。


例えば、訪問販売、通信販売、インターネット販売もこれに該当します。


 


ねずみ講は違法である


対してねずみ講は無限連鎖講という名前で定義されています。


こちらもマルチ商法と同じくネットワークのように広がっていくため似ていますが、


無限連鎖講の防止に関する法律で違法として禁止されています。


では両者にはどのような違いがあるのでしょうか。


 


マルチ商法ねずみ講の違い


下記の表はマルチ商法ねずみ講の違いについてまとめたものです。


マルチ商法

ネットワークビジネス

項目

ねずみ講

(無限連鎖講)

有限(一定の範囲まで) 収入範囲 無限(トップが末端まで収入をとれる)

ある。

商品・サービスの売り上げから報酬を得る 商品・サービス ない。

会員費などの金銭のみが流通するため、常に新規者を勧誘する必要がある

無料。

活動資格を得るのにお金はかからない 会員費 有料。

これが収入源のため

 


一番の違いは収入範囲が有限か無限かということです。


ねずみ講は無限連鎖講というなの通り、無限なのです。


トップレベルが末端まで収入を取ることができるため、先に始めた人が必ず儲かります。


しかし、マルチ商法は範囲が決まっているため、


後から始めた人でも収入を抜かすことができるのです。


 


マルチ商法ねずみ講の違い


 


もうひとつは商品(サービス)が存在するかといことです。


マルチ商法は1つの仕組みであって、普通の会社と同じ、


商品・サービスの売り上げから会社が成り立つことに変わりはありません。


売上の数%をネットワークビジネス活動者に報酬として支払います。


 


それに対してねずみ講は商品(サービス)が存在しません。


そのため会社は定期的な売り上げが存在せず、


会員費のみから収益を上げる必要があります。


会員費だけで商品もサービスもない会社などおかしいのは明白です。


 


ねずみ講は横行しやすく、また被害が絶大である


ねずみ講は一見手軽なイメージがあるため、


団塊世代などを中心に流行することが何度もありました。


 


1980年代に横行した天上一家の会や、近いものでは円天なども挙げられます。


手口も巧妙で一見サービスがあるような仕組みにすることで、


会員をだますのです。


ですが当然最終的には成り立たなくなるため、つぶれることにより、


被害が増大します。


 


TVでマルチ商法ねずみ講が混同される


もうひとつはTVのドラマなどで、


マルチ商法ねずみ講」のイメージで演出されているものが多い事です。


よく「マルチをやっている前歴がある」「マルチにだまされた」というセリフを


聞いた事があるのではないでしょうか。


これにより混同する人がさらに増えたのです。


 


マルチ商法も厳しい規制下に


これまでマルチ商法ねずみ講の違いを述べてきましたが、


マルチ商法は合法だからのびのびできるね」というと、違います。


むしろ逆です。


 


特定商法取引の中でマルチ商法はこと細かに厳しい規制が入っています。


この規制は素人レベルでは商売ができないぐらい複雑です。


そのため、実質ほとんどのネットワークビジネス活動者の行動は、


違法だということがわかります。


 


例えば、


・目的を告げずに勧誘対象を招きいれ、そのままネットワークビジネスの勧誘を始めてしまう。


・商品の効果効能をいってしまい、また過剰に表現する


・絶対に儲かるなど収入の保証をしてしまう


などなど、挙げるときりがありません。


 


一般の人には難しいネットワークビジネス


ネットワークビジネスは始めるのが手軽なこともあり、


気軽な気持ちで参入する人がたくさんいます。


そのためコンプライアンスの意識に欠けている人が多く、トラブルも起こりやすいのです。


そのため厳しい規制をする必要が出てきました。


 


その規制は、手軽に活動できるレベルではありません。


結局、金銭、時間のリスクで手軽そうに見えますが、


法律という規制により、まったく手軽ではないビジネスなのです。


 


世界中で厳しい規制、違法を犯すリスクが高い


マルチ商法は、中国、韓国、フランス、イギリス、ベトナム、アメリカなど


先進国、発展途上国を含め多くの国々でも厳しい規制があります。


それほどまでにトラブルが起こりやすいのです。


 


実際、今活動している人たちのほとんどが法律を犯しているといえるでしょう。


法律を犯してなくても、強引な勧誘など、悪印象を与え、


その印象が沢山広がっているのです。


 


例え合法でも、法律を犯すリスクは高く、


そのリスクを覚悟したうえでネットワークビジネスに取り組まなければなりません。


そして、例え自分は健全にやっていたとしても、


周りが不健全なために、同じような目で見られることも覚悟しなければなりません。


 


まとめます


ネットワークビジネスは特定商法取引に定義される合法である


ねずみ講は別名無限連鎖講といい、違法として定義されている


ネットワークビジネスは合法だが厳しい規制下にある


・その規制は実質素人レベルでは活動するのは難しい


・現在の活動者でも法律違反の人は多く、悪印象は広がっている


・たとえ健全にやっていても、不健全にやっている人と同じようにみられることを覚悟する

ネットワークビジネスでも、ビジネスとしてもちゃんとコンプライアンス法律を守って行っている人もいます!

法律さえ、守ってしっかりビジネスを行えて世に浸透すれば、悪い印象が消えるのではないのでしょうか?


人と人とを密接に、繋ぐのでシビアに言葉を選んだりしないといけません!


タイミングをみたり、相手のことを気を使って、法律さえ守ればなにも問題ないビジネスだと思います!


ビジネスに、してお金を稼ぐなら、法を守って楽しく稼ぎましょうね!

基地問題

 埋琉球新報 主張

翁長雄志知事は9月21日午後5時すぎ(日本時間22日午前0時すぎ)、スイス・ジュネーブで開かれた国連人権理事会総会で演説し、日米両政府が進める名護市辺野古の新基地建設に県民が同意していないことを強調し、強行は人権侵害に当たり、あらゆる手段で阻止することを国際社会に訴えた。翁長知事は「沖縄の人々の自己決定権がないがしろにされている。辺野古の状況を世界から関心を持って見てほしい」と呼び掛けた。

 日本の都道府県知事が国連人権理事会で演説するのは初めて。知事は沖縄県民の過重な

基地負担を放置するのは人権問題だと強調し、国内外の批判の高まりによって新基地計画を止めたい考えだ。
 翁長知事は「沖縄の米軍基地は第2次世界大戦後、米軍に強制接収されてできた。沖縄が自ら望んで土地を提供したものではない」と述べ、米軍普天間飛行場の返還条件として県内に代替施設建設を求める日米両政府の不当性を主張した。
 また、「沖縄は国土面積の0・6%しかないが、在日米軍専用施設の73・8%が存在する。戦後70年間、いまだに米軍基地から派生する事件・事故や環境問題が県民生活に大

きな影響を与えている」と強調した。その上で「沖縄の人々は自己決定権や人権をないがしろにされている」と訴えた。
 翁長知事は昨年の県知事選や名護市長選、衆院選など県内主要選挙では辺野古新基地建設に反対する候補が勝利したことに触れ「私はあらゆる手段を使い新基地建設を止める覚悟だ」と述べ、建設を阻止する決意を表明した

国連人権理事会で辺野古新基地建設中止を訴えたことについて翁長雄志知事は「沖縄の米軍基地は県民の土地を強制接収した上に建設された。県民は事件事故に恐れを抱き生活している。歴史を学ぶほど基地問題は人権問題だとの意識が強まった」と述べ、人権理事会で基地問題を取り上げたことの正当性を訴えた。

 第三者委員会が瑕疵(かし)があるとした埋め立て承認に関連し、関係職員への対応について町田優知事公室長は「職員は審査基準に対する考え方の下、適切に審査を行ったと理解している」と述べ、承認には瑕疵があったと判断したものの、職員を処分する考えはないとの考えを示した。仲田弘毅氏(自民)への答弁。

総務省が1977~2009年度まで日本戦災遺族会に委託して作成した「全国戦災史実調査報告書」に沖縄戦の被害が盛り込まれていないことについて、金城武子ども生活福祉部長は「国が県の被害状況を記録して残していないことは残念だ。国の責任で沖縄戦の被害状況について記録を残すよう求めていきたい」と述べた。仲宗根悟氏(社民護憲)に答えた。

 尖閣周辺をめぐる緊張について翁長知事は「中国と長い交流を持つ沖縄としてこれまで築いた友好関係を生かし、沖縄ならではの交流を推進することで日中関係の改善に貢献したい」と語った。砂川利勝氏(自民)への答弁。このほか、新里米吉氏(社民護憲)が質問した。
  翁長雄志知事は国連人権理事会での演説に関連して沖縄の独立について問われ「民意を受け、是正してもらいたいということが独立論につながるという方々が多くはないことは分かると思う」と述べ、新基地建設に反対することが独立の志向に直ちに結び付くものではないとの考えを示した。

また「沖縄の基地問題を解決しなければ日本の国は良くならない。世界に冠たるリーダーとして立つことはできない」と述べ、日本の民主主義が問われていると訴えた。花城大輔氏(自民)の質問に答えた。
 

 

沖縄タイムス 主張

 【ジュネーブ共同】沖縄県の翁長雄志知事は21日午前(日本時間同日夜)、スイス・ジュネーブ国連欧州本部で沖縄の市民団体が催すシンポジウムで講演した。引き続き、日本時間の深夜に国連人権理事会で演説し、米軍普天間飛行場名護市辺野古移設に反対の立場を訴える予定だ。 外務省によると、現職の都道府県知事が国連人権理事会で演説するのは初めてとみられる。

 辺野古移設をめぐっては、政府が県との集中協議に伴い中断していた関連作業を12日に再開。対抗する翁長氏は辺野古沿岸部の

め立て承認取り消しを表明し、帰国する24日以降に正式に取り消す方針を示している。

 

 「本当に辺野古の埋め立てを止められるのか、ということだが、私はそれを止めるために昨年の知事選で当選した。前知事が選挙の4年前の公約は県外移設で当選したにもかかわらず、3年目に国と交渉してコロっと変わってしまった。前知事の考え方は県民の意思とは違う。結果的に承認されたのでそれを覆すために昨年の一連の選挙で私たちが全部当選した。それを受けて第三者委員会で埋め立て承認が法律的に間違いないかと専門家の検証委員会を作った。その結果、ことしの7月に環境、法律の専門の6人が前知事の承認には瑕疵(かし)があると報告があった。それを元手にまずは法律的に造らせないための法的な闘争が始まっている。これから10年間工事が続く。その間に県知事と名護市長の許可を得なければいけない工事がいくつかある。県民は戦後27年間、米軍の施政権下で無国籍人として大変な抑圧を受け、それを一つ一つ人権獲得するためにみんなで力を合わせてきた歴史がある。辺野古にはあの戦争のことを知っている人、その話を聞いている人、高齢者の方がこの1年間、毎日百人単位で座り込みをしている。賛同する人も増えている。疲れる、朝から晩まできつい作業を少しも衰えることなくこんにちまで続け、これからも続ける。それを排除する県警、海保の様子を、皆さんが世界へ報道することによって、あの美しいサンゴ礁が埋め立てられるような過程があるとすれば、世界に発信して、見つめていただきたい」

 沖縄県議会(喜納昌春議長)の代表質問が30日始まり、翁長雄志知事はスイス・ジュネーブ国連人権理事会での演説について「沖縄の歴史的事実を学べば学ぶほど基地問題は人権問題という気持ちが強くなってきた」と述べた。 沖縄戦やその後の米施政権下で、土地を強制的に奪われ、基地を建設され、そこから派生する環境問題や、いつ起きるか分からない事件、事故に県民が不安や恐れを抱きながら生活している実態を「歴史的な事実」として挙げた。

 また「ないがしろにされている」と主張した自己決定権については「多くの県民が基地の存在に違和感を持ち、将来に不安を感じている。基地問題に翻弄(ほんろう)されるようでは沖縄に生まれた政治家として沖縄の将来を担う子や孫に責任が持てない」との認識を示した。

 また、町田優知事公室長は戦後70年間、過重な基地負担に苦しんできた沖縄側が「(普天間の)代替施設を考えなければならないのは大変理不尽」と指摘。政府に対し、安全保障の負担は全国で分け合うべきだ、と述べた。

 いずれも仲田弘毅氏(自民)の質問に答えた。

 

読売新聞

 沖縄県の翁長知事が、10日で就任から1年を迎える。米軍普天間飛行場名護市辺野古への移設についてあらゆる手段で阻止すると公言し、政府との間で激しい対立が続く。

ただ、強固姿勢で全国の注目を集める一方で、移設予定地で進む作業が止まる見通しはない。翁長知事は記者会見で一年の自己評価を問われ、県民の思いを背にやってきたものが、良い形で積み重ねられた。基地問題に多くの時間を割いたのは正しい選択だったと述べた。辺野古移設阻止を掲げて当選した翁長氏は、就任翌月には最初の一手を打った。仲井間前知事による移設先の埋め立て承認手続きを検証する第三者委員会の設置だ。反対姿勢を前面に打ち出す翁長氏に政府側は冷淡な反応を示し、四月になって初めて菅官房長官との会談が実現した。移設を斎々と進めると繰り返す菅氏に対し、翁長氏は上から目線だと激しく反発。以後、菅氏は、斎々という言葉を使わなくなった。八月から九月にかけての一ヵ月間は、政府との集中協議を実施。東京出張はこの一年で二十回に上った。海外にも活路を求め、五月下旬からは訪米して米政府関係者や上下院議員らに移設断念を訴えた。九月には、スイスで国連隣人理事会に出席し、沖縄の自己決定権や人権がないがしろにされているとアピールした。そして十月、承認には法的瑕疵があったとした。第三者委の報告をもとに、切り札と位置付けていた埋め立て承認の取り消しに踏み切った。しかし、この処分については国土交通省が執行停止を決定し、移設工事は現在も進む。

 政府は翁長氏の承認取り消し処分の撤回を求める代執行起訴を起こし、対立は法廷闘争に発展。起訴合戦となる。

 

県内外で移設反対を訴えた結果、翁長氏は世論喚起に一定の成果を上げたといえる。県には全国から三万通を超す応援、激励の手紙などが届いたという。長期戦に持ち込めば世論の圧力で移設はとめられるとの戦略だ。

 

私の考えは、基地を沖縄が負担するということは、沖縄県民に対する差別であると考えた。同じ日本という国にもかかわらず、なぜ沖縄にこんなにたくさんの基地を置かなければならないのか。日本が沖縄との関係を対等化し平等に物事を慎重に進めていかなければこの沖縄への差別という考えは消えないと考えた。

ここ最近の選挙では、辺野子への新基地建設反対を訴える人が県知事選や衆議院選では、勝利している感じが見受けられる。ただ、沖縄から、基地をなくすということは軍事関係にも多大な影響が出ると考えた。仮に沖縄から基地がなくなるとしたら、アメリカとの信頼関係にもひびが入り、もしかしたら北朝鮮や中国、テロリストが攻めてくる可能性も高まると思う。憲法9条がある限り日本は武力を行使することができない。どう日本を守っていくのかも考えていかなければならない。だが、今のまま沖縄に基地が残るもしくは、移設するとなればオスプレイなどの騒音被害民間人を巻き込んだ事故また、基地に住む外国人が犯した罪をどう裁くのかなど、問題も山づみではないのか。これからの沖縄県民の思考、行動、リーダーとして引っ張っていく翁長知事に今後の日本の未来が託されているのではないか。

一般人の考え行動を理解してもらいたい。

それから分析し話し合い決議をするなりしてほしい。一瞬のテンションで行動するから批判や公約違反が出てくる。テンションではなくモチベーションというのをしっかり維持し、個人的な意見を述べるだけではなく、みんなの住民の、県民の、日本人の、考えを代表としていってほしい。決定権がある代表が暴走して決定されると日本全体も暴走しかねないのではないだろうか。